西井農機の歴史
戦後の食糧危機からの復興に貢献したいという思いで 、西井農具として、昭和 30年頃、西井正が創業
当時は水島工業地帯も出来たばかりで 産業の中心が農業でした。現在と違いすべての作業が手作業でした。
仕事が少なく農業が収入源だったので、子供達も学校を早退して、家族、親戚、勢ぞろいで田植えや稲刈りをしていました。
玉島では海苔を作る事や漁業や撚糸が盛んでしたが、水島工業地帯が出来たことにより衰退していきました。
作業効率の為に機械化していく農業
作業効率化の為に農業は機械化してきました。
当時は1台のエンジンを色々な機械に載せ替えて使っていました。
機械化した事により皆さんに喜ばれたと聞いています。
機械も一人一台ではなく組合で購入してみんなで使っていました。
使う人が変われば調子が狂うこともありあちらこちらに呼ばれ 地域発展の貢献をしていました。
そして、現在の有限会社西井農機に昭和53年に法人化し社名変更をしました。
発展していく農業から兼業農家の時代へ
オイルショック後も機械化は進みいかに作業効率化が出来るかと進んでいきました。
稲作では、歩行型の田植機から乗用型の田植機へ。収穫時期にはバインダー、ハーベスターからコンバインへと活気的な変化が起こりました。
自社でも祖父から父へと事業承継し新しい機械へと対応できる体制を整えて行きました。
そしてお米が政府米から一般販売へとかわり米価の下落がはじまりました。農業だけでは生活できなくなり兼業農家が増えていきます。
玉島では稲作だけではなく畑作や果樹も盛んな地域です。
玉島・船尾・連島・金光 ・阿智・早島・倉敷市内と様々なお客様に頼りにされて発展 していきました。
地域に貢献出来ることを増やせる企業へ
そして現在代表取締役を務めたいる私へと引き継がれました。
時代の変化と共に農機具だけを扱っていては地域に貢献出来る事に限界があると感じ、肥料・農薬・電気工事・エアコン取付なども取り扱いをはじめました。
色々な物を扱う中で違う目線よりみる事ができ、お客様へアドバイスできる事がふえてきました。
『農業のやりやすい環境作りから地域に笑顔を届けます』
この思いを持ち、あの店に頼めば後は良いようにしてくれる!というワンストップで色々な事が解決できるお店作を目指しています。
喜んでくれる人がいるから自社の存在意義がある。地域の小さな困り事から解決して寄り添ていける会社が(有)西井農機です。
水島工業地帯の歴史
水島は、戦前、漁業・海苔・農業を主とする岡山県は、工場を誘致することで、“農業県から工業県へと。
1943年(昭和18年)に、三菱重工業㈱水島航空機製作所を誘致されました。
戦後、1953年(昭和28年)、岡山県は大型船舶の入港を可能にするために、航路泊地の浚渫に着手し、発生する浚渫土砂で海面を埋め立てて工場用地を造成しました。